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2011年 09月 21日

谷地どんがまつり(林家舞楽)

前日の続き
八 還城楽 〜げんじょうらく〜 童舞 / 花天冠、紅染め振り袖、狩衣、奴袴 この舞は走り舞(はしりまい)で舞台を縦横に動き回り活発な舞です。由来は、中国西方の蛇を食する胡人が、これを捕えて喜悦する様を舞にしたものと伝えられています。当舞楽は可憐な童舞(当日は小学二年生、初舞)のためか、舞台の中央の双重の赤い紐を蛇に見立ててあらかじめ置いています。始めは緩やかに舞い、蛇を発見し中央に進み立ち膝になって捕える仕草があります。蛇を捕まえると立ち上がり、意気揚々と退出します。この曲も林邑八楽の一つであります。
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九 抜頭 〜ばとう〜 童舞 / 花天冠、紅染め振り袖、狩衣、奴袴 当舞楽では童舞で、装束は還城楽と同じものを着用します。天平時代に、僧仏哲によってつたえられた林邑八楽の一つであります。この舞の由来は、古代中国西方の胡人が父を噛み殺した猛獣を探し、父の仇を討ち、喜悦して帰還する様を舞にしたといわれております。当舞楽では童舞(当日は小学二年生、二回目)となっており、始め走りものらしく舞台を左右に進み、中央に走り込んで座ります。中央で舞の所作が終わると立ち上がり、四方廻りながら舞い納めます。
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十 陵王 〜りょうおう〜 一人舞 / 裲襠装束(りょうとうしょうぞく) 印度の戒日王の作「陵王の喜び」という歌劇の一節をとった沙羅龍王の舞。中国北斉の人、蘭陵王長恭は容姿端麗であったため、将軍として士気高揚のために常にいかめしい仮面をつけて戦に臨んでいた。ある時、周の大軍を金慵城に破り、その武勇は三軍に轟いたと伝えた。時に武将たちはこれを喜び、この舞を作ったとされている。僧仏哲が伝えた林邑八楽の一つであります。龍頭の面を着け、金色の桴(ばち)を持ち、紅の袍に雲竜の裲襠と金帯を着けて舞う。谷地の舞楽保存会設立五十周年記念に、中国河北省邯鄲市磁県「蘭陵王長恭墓前」に1400年の時空を越えて林家舞楽の奉納をいたしました。
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十一 納曽利 〜なそり〜 一人舞 / 裲襠装束(りょうとうしょうぞく) この舞は高麗楽の一つです。雌雄二匹の龍が、楽しげに遊び合う姿を舞楽化したものであると言われている。当舞楽では、一子相伝のため一人舞であります。「納利」は「陵王」の番舞(つがまい)(くみまい)として陵王の後に舞われます。舞人は前段は片膝をつきながら舞い、始め青龍の方向に進み、更に玄武の方向には銀桴をかざして歩み、玄武から舞台中央にて着座します。中央での所作の後、東西に進み両腕で大きな輪を二回描き銀桴を両手で持ちます。再び青龍に進むと曲が変わり、大きく輪を三回描きます。これを白虎、玄武、朱雀で同様に繰り返して舞い、続いて東、北、西で両手で銀桴を腹の位置に持ち舞い納めの所作に入っていく。最後に曲に合わせ、両膝を着きながら退出していく。
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慈覚大師が山寺立石寺開山のころ(貞観2年、860年)には大きな地震・噴火が頻発している。
貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期の貞観11年5月26日(869年7月13日)に、日本の陸奥国東方の海底を震源として発生した巨大地震。地震の規模は少なくともマグニチュード8.3以上であったと推定されており、地震に伴う津波による被害も甚大であった。三陸沖地震の1つとして理解され、「貞観三陸地震」と呼称されることがある。この地震の5年前の貞観6年(864年)に富士山の青木ヶ原樹海における溶岩流を噴出した貞観大噴火。868年に播磨地震(山崎断層)、元慶2年(878年)には、伊勢原断層の活動によるM 7.4の相模・武蔵地震(現在の関東地方における地震)、887年8月22日(8月26日)に仁和地震(南海地震、M 8.0〜8.5)が起こっている。
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by rwshkknsgttsbktnh | 2011-09-21 08:54 | まつり | Comments(2)
Commented by gigen_t at 2011-09-21 09:15
 時空を超えて中国からねー 歴史の重みが感ぜられます、
Commented at 2011-09-21 12:16
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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